【お役立ちメニュー】保証期間が切れても対応してくれる業者を選ぼうブログ:22/1/18
お母さんはわたくしが大学受験で上京する時、
三十センチ四方もある巨大な弁当を持たせてくれました。
それは百科事典のような豪華さでした。
わたくしは巨大な弁当に注がれる周囲の客の視線を気にしながら、
フタを少しだけ持ち上げ箸を突っ込み、
わずか三口か四口食べただけで網棚に仕舞い込んだのでした。
恥ずかしさのあまり
駅で風呂敷ごと捨ててしまったわたくしは、
今になって、あの巨大な弁当に込められた
お母さんの計り知れない大きな愛を感じています。
お父さんが始めた商売がなかなか軌道に乗らず、
どんな辛く苦しい思いをしたか、
当時のわたくしには想像もつきませんでした。
生意気盛りの反抗期のわたくしは、
お母さんが風呂の燃料用にと魚屋さんからもらった古い魚箱を
リヤカーで運ぶこともせず、斧で割ることもしませんでした。
滞納した授業料を催促するわたくしに、
どんな思いで「もう少し待ちなさい」と言ったことでしょう。
通学定期も満足に買えなかった貧乏の中で、
新聞奨学生となって大学に行くと宣言したわたくしを、
金銭的援助の出来なかったお母さんは、
どんな思いで駅のホームから見送ったことでしょう。
わたくしが上京してから服やおかしを送ってくれた時、
一緒に入れてあった五千円札が思い出されます。
毎回判で押したような、
お母さんの生活上の注意の手紙が思い出されます。
お母さんの愛をわたくしはずいぶん裏切りました。
でも、それでもなお、お母さんはわたくしを愛し続けてくれました。
その愛情の深さに、わたくしはおびえるほどです。
三人のお子様のお父さんとなった四十九歳の男の子が今、
泣きながら、鼻をかみながら、この手紙を書いていることで、
父母不孝の何分の一かでも許して欲しいと思っているのです。
■川元誠一
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