【お役立ちメニュー】買電と売電がゼロになることも考えられるブログ:19/3/08
結婚して数年経って、
平穏な連日を送っている今も、
私にはしばしば眺めている数枚の写真があります。
それは
お母さんと幼い私が写った数枚の記念写真。
五反田の街角で、青い染め抜きの花模様の着物を着て、
微笑むお母さんのそばでにっこりしているおかっぱ頭の私。
どこまでも広がる黄色い菜の花畑で、
花に顔をうずめている小さな私と、
それを見守るお母さんの優しい笑顔。
長い一本の道を、
手をつないで歩いていくお母さんと私の後姿…
子供の頃の思い出の横にはいつもお母さんがいて、
私はこんなにもお母さんに見守られて、
育まれてきたのだという実感が、いつも心を暖かくしてくれます。
でも子育てをしてみて
私は初めて気がついたことがあります。
それは、
お母さんとの思い出の数々を今日の日まで残してくれたのは、
そのフレームの中にはいない父親だったということ。
不思議なくらい、今の今まで気がつかなかった…
子どもが生まれて、
私がカメラを持つようになり、
アルバムを作ってみれば…
そこには、
子どもを抱く主人、
子どもをお風呂に入れる主人、
子どもを子ども寝かしつける主人…
私との写真なんてまるでなくて、
これじゃ将来うちのムスメは私が育児放棄をしたと思うかなぁ…なんて
苦笑いしています。
写真という記憶の不思議。
フレームに存在しないという、存在感。
「気づくのが遅くなっちゃいましたね。お父さん」
でも間に合って、よかった。
今までずっと、ありがとう…
控えめな父親の深い真心に、
私は心から感謝しています。
父親のおかげで、
私もお母さんも幸せな思い出をいつまでも
抱き続けることができるんですね。